ドビュッシーの『シリンクス』について

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シリンクスの物語に隠された深い哀しみを紐解く

イントロダクション

ドビュッシーの『シリンクス』は、1913年に作曲されたフルートのための独奏曲で、その名はギリシャ神話のシリンクスの物語に由来します。この曲を演奏するとき、多くのフルート奏者はシリンクスの物語やそれに関連するイメージを思い浮かべながら演奏に取り組みます。しかし、この物語が示すイメージは非常に多岐にわたります。そこで、まずシリンクスの物語の概要を確認し、その後でこの作品に込められた感情や表現について考察します。

シリンクスの物語

シリンクスの物語は、古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』に収められています。物語の概要は以下の通りです。

「半獣の神パンが妖精のシリンクスに一目惚れし、彼女に言い寄ります。しかし、シリンクスはこれを拒み、逃げる途中で川までたどり着きます。そこで、彼女は神々に助けを求め、葦に姿を変えました。パンが追いついたとき、そこにはただの葦の束があるだけでした。失意のパンはその葦で笛を作り、その笛に息を吹き込むと、驚くほど美しい音色が響き渡りました。」

この物語は、恋愛の追跡と逃避、変身と喪失をテーマにしており、その背後には深い悲しみと絶望が漂っています。

パンとシリンクスの視点

この物語を知ったとき、どちらの立場が音楽に反映されていると思いますか?

失恋したパンの視点でしょうか、それともシリンクスの視点でしょうか。

一見すると、「美しい音を奏でたパン」の音を想像して演奏したくなります。しかし、私の考えでは、この作品は「シリンクスの永遠に続く失意の哀歌、嘆き」であると捉えるべきです。

シリンクスは好きでもないパンに一方的に追いかけられ、葦に変身してまで身を隠しましたが、それでも彼女の自由は奪われ、笛として息を吹き込まれ続けることになりました。パンにとっては、その笛の音色が心を癒すものかもしれませんが、シリンクスにとっては永遠に続く悲しみと苦しみの象徴です。

ドビュッシーの時代の倫理観

現在の価値観で考えてしまうと、パンの行動は完全に常識を逸脱したものになりますが、曲の背景を探る時、ドビュッシーが生きた19世紀後半から20世紀初頭のフランスにおける女性の地位と女性解放運動についても考察する必要があります。

19世紀フランスにおける女性の地位

ナポレオンが制定に関与した「フランス民法典」は、女性の権利に大きな影響を与えました。この法典は、女性に対する制限を強化し、夫の権限を強調しました。しかし、産業革命の進展により、労働者層の女性にも変化が生じ、女性解放運動が展開されました。

女性解放運動の展開

19世紀フランスでは、オランプ・ド・グージュなどの女性が女性参政権運動や社会主義に基づく女性解放運動を推進しました。彼女たちは初等教育権、労働権、離婚権、市民権などを求めました。第二波フェミニズムは1968年の五月革命を契機に起こり、家父長制や性差別に焦点を当てた社会改革を目指しました。

総じて、19世紀のフランスでは、女性の権利についての議論と運動が進展しましたが、男女平等はまだ達成されていませんでした。それでも、神話時代よりは女性の人権が進んでいるように思われます。少なくとも「所有物」としての扱いは減少しました。

音楽的解釈

ドビュッシーがシリンクスの「哀歌」に焦点を当てていると仮定すると、この曲の音楽的特徴がより理解しやすくなります。

全音音階の使用

『シリンクス』で使用されている音階のほとんどは全音音階で、調性がありません。これは浮遊感を与え、何にもすがることができない不安を象徴しています。また、繰り返されるモチーフは無力な嘆きに聞こえ、ひたすら救いを求めるヴォカリーズのようです。

調性とパターンの繰り返し

たまに聴こえる調性と執拗なパターンの繰り返しは、パンによる責めのようで、無理やりシリンクスを快感に導こうとする試みと捉えることができます。しかし、それはすぐに悲しみと怒りの渦に巻き込まれます。

結論

ドビュッシーの『シリンクス』は、シリンクスの永遠に続く失意の哀歌であり、その悲しみと嘆きを表現していると、とらえる事ができます。この解釈をひとつの参考に、演奏者はシリンクスの視点に立って、彼女の苦しみと悲しみを音楽に込めることで、より深い表現が可能になると思います。

『シリンクス』を演奏する際には、物語の背景と、それに込められた感情を理解することが重要です。シリンクスの視点から見ると、この曲はただの美しい音色ではなく、深い哀しみと絶望を表現したものとして新たな解釈が得られるのではないでしょうか。

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