フルート 齋藤 寛 オフィシャルサイト

息、利き手、AI、人

私自身は右利きです。箸もペンもテニスのラケットもジャンケンも、右手です。もし、左手で字を書こうものならミミズの這ったような悲惨な線が出来上がるだけです。極めて不器用です。

圧倒的右利きが多い中で、ヴァイオリンは右手に弓を持ち、左手で弦を押さえるようになりました。ギターは利き手で弦を弾き、反対の手で弦を押さえます。三味線やバンジョーも同じです。

つまりこれを言い換えれば、利き手で”音色”を、反対の手で”音程”をつくっていることになります。

器用に使える方を音色のために割り当てたのは、意味のあることだったのだと思います。

ピアノにおいては、右手が高音域、左手が低音域を担当します。(左利き用のピアノも存在するそうですが)一般的な曲は、より音域の高い方が旋律を担当し、その演奏には表現力が必要とされます。やはり右手に割り当てられるようになっています。

正しい音程だけに執着するなら、運指やポジションさえ合っていれば、正解と言えるのでしょう。しかし、ある程度練習が進むと、運指で悩むことよりも音色に関する欲求の方が増してきます。熟達すればするほどに、如何に音色をつくるか、どのように表現するかのほうが大切になります。かと言っても、メカニカルなトレーニングは欠かしませんが。

元々器用な利き手で音色づくりに専心する方が、都合も効率も良かったのです。

器用で無い方に任せようというのですから、テクニカルなことは練習次第でなんとかなる、というのが先人たちの判断なのでしょう。

Pages: 1 2 3 4

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です