人でつながるクラシック音楽史 #13
ガブリエル・フォーレの《シチリアーノ(Sicilienne)》Op.78。ゆったりと揺れる伴奏に、どこか懐かしさを帯びた旋律が重なります。チェロやフルートの名曲として親しまれていますが、最初から独立した器楽曲として生まれたわけではありません。
始まりは1893年。モリエールの戯曲《町人貴族》のために準備された劇音楽でした。しかし、上演を予定していた劇場が経営破綻し、作品は舞台で演奏される機会を失います。
その後、《シチリアーノ》はチェロとピアノの小品として出版され、さらに別の劇《ペレアスとメリザンド》の音楽へと姿を変えていきました。その道のりには、師であり友人でもあったサン=サーンス、イギリスのチェリスト、そして弟子のシャルル・ケクランが関わっています。
1893年――サン=サーンスからフォーレへ渡された仕事
物語のきっかけは、パリの劇場で計画されていたモリエール《町人貴族(Le Bourgeois gentilhomme)》の上演でした。劇場側は当初、カミーユ・サン=サーンスに劇音楽を依頼しましたが、多忙だったため、フォーレがその仕事を引き受けることになります。
サン=サーンスは、フォーレが学んだエコール・ニーデルメイエールでの恩師であり、その後も長く交流を続けた音楽家でした。師から弟子へと引き継がれた依頼によって、《シチリアーノ》の最初の姿が生まれたのです。
ところが、フォーレが音楽を準備していた1893年、上演を予定していたエデン劇場が経営破綻します。計画は中止となり、《シチリアーノ》を含む音楽は当初の舞台で披露されないまま残されました。
このときの自筆譜は、現在もフランス国立図書館に所蔵されています。1893年3月の日付が記された楽譜からは、後に広く知られることになる《シチリアーノ》の初期の姿を知ることができます。
Bibliothèque nationale de France, département de la Musique, MS-17779.
サン=サーンスと演奏家との交流については、《白鳥》とチェリスト、ルブークの物語でも紹介しています。『人でつながるクラシック音楽史 #12』では、《白鳥》が独立したチェロ作品として広まっていった歴史をたどっています。
1898年――チェロとピアノの《シチリアーノ》へ
上演の中止から約5年後、フォーレは《シチリアーノ》をチェロとピアノのための作品として整えました。1898年、この版が作品78として出版されます。
出版譜に記された献呈先は、イギリスのチェリスト、ウィリアム・ヘンリー・スクワイア(William Henry Squire、1871–1963)です。チェロの歌うような響きは、緩やかな舞曲の旋律を引き立て、作品は劇音楽から独立した小品として演奏されるようになりました。
なお、作曲の最初の段階と、チェロとピアノ版の完成・出版は同じ年ではありません。《シチリアーノ》を「1898年の作品」と紹介する場合もありますが、その出発点は1893年の劇音楽にあります。
もう一度、舞台へ――《ペレアスとメリザンド》
1898年、フォーレには新たな劇音楽の仕事も舞い込みます。ベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンクの《ペレアスとメリザンド》がロンドンで上演されることになり、そのための音楽を担当したのです。
フォーレは、かつて《町人貴族》のために書いた《シチリアーノ》を、この新しい劇にも取り入れました。音楽が用いられるのは、ペレアスとメリザンドが泉のほとりで過ごし、メリザンドの指輪が水の中へ落ちる場面です。
二人の間には束の間の穏やかな時間が流れています。しかし、失われた指輪は、その後の物語に影を落とすことになります。《シチリアーノ》の柔らかな旋律は、美しさとほのかな不安が隣り合う場面にも、不思議なほど自然に寄り添います。
ロンドンでの上演に向け、管弦楽編曲の多くを担当したのが、フォーレの弟子シャルル・ケクラン(Charles Koechlin、1867–1950)でした。《シチリアーノ》もケクランによって劇場用の編成に編曲されます。劇音楽《ペレアスとメリザンド》は、1898年6月21日にロンドンで上演されました。
師から引き継いだ仕事をきっかけに生まれた旋律が、今度は弟子の手を借りて舞台に戻る。サン=サーンス、フォーレ、ケクランという三人のつながりが、《シチリアーノ》の歴史の中に残されています。
ちなみに、メーテルリンクの同じ戯曲をもとに、クロード・ドビュッシーもオペラ《ペレアスとメリザンド》を作曲しています。フォーレの劇音楽とドビュッシーのオペラは、同じ物語を扱いながら、それぞれ異なる作品です。
《ペレアスとメリザンド》組曲の第3曲になるまで
劇場のために用意された音楽は、のちに演奏会用の管弦楽組曲へとまとめられます。ただし、1901年に初めて演奏された組曲は《前奏曲》《糸を紡ぐ女》《メリザンドの死》の3曲で、《シチリアーノ》はまだ含まれていませんでした。
その後、《シチリアーノ》が加えられ、現在よく知られている4曲構成になります。組曲では第3曲に置かれ、フルートが奏でる旋律が、とりわけ印象的です。
《シチリアーノ》の管弦楽譜は1909年に出版されました。1901年に出版された他の3曲とは版番号も異なっており、出版の経緯を楽譜から確認することができます。
1893年に上演されなかった《町人貴族》の音楽は、こうして別の劇に新たな居場所を得て、さらに演奏会のレパートリーへと広がっていきました。
《シチリアーノ》の音楽を聴く――穏やかな舞曲の中の陰影
シチリアーノとは、一般に、緩やかな6/8拍子や12/8拍子の揺れを特徴とする舞曲風の音楽を指します。フォーレの《シチリアーノ》も6/8拍子で書かれています。
最初に現れる旋律は、静かで親しみやすいものです。しかし、ただ優しく歌えばよいというわけではありません。旋律の行き先に合わせて和声が移ろい、明るさの中に少し寂しさを感じさせる瞬間があります。
短い音と長い音をどのようにつなげるか。舞曲らしい揺れを保ちながら、旋律をどこへ向けて歌うか。音数が多くないからこそ、奏者の音色や呼吸の違いがよく表れます。
同じ旋律でも、チェロでは温かな歌に、管弦楽版のフルートでは透明感のある響きになります。それぞれを聴き比べると、編成によって音楽の印象が変わる面白さも感じられるでしょう。
一度は失われた舞台から、世界中の演奏家へ
《シチリアーノ》の歩みを振り返ると、一つの作品が完成した瞬間に、その後の運命まで決まるわけではないことが分かります。
サン=サーンスからフォーレへ渡された劇音楽の依頼。経営破綻によって実現しなかった舞台。スクワイアに献呈されたチェロとピアノ版。そしてケクランの編曲によって実現した、新しい劇への登場。
異なる時代や演奏の場で、新しい役割を与えられながら、《シチリアーノ》は演奏され続けてきました。
誰かとの出会いや、思いがけない出来事が、作品の行く先を変えていく。《シチリアーノ》もまた、人と人とのつながりによって、現在の姿へとたどり着いた音楽なのです。
フォーレの作品には、人との出会いや交流を通して生まれた音楽が数多くあります。《夢のあとに》や《ドリーの子守唄》にも、それぞれ異なる人々との物語が残されています。
《シチリアーノ》をフルート二重奏で
Japan Duo Notesでは、フォーレ《シチリアーノ》を2本のフルートのために編曲し、『フルートデュオ名曲集25』に収録しています。ピアノを使わずに、旋律と伴奏の関係を二人で確かめながら演奏できます。
▶ 『フルートデュオ名曲集25』の収録曲・楽譜を見る
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