人でつながるクラシック音楽史 #14
モーリス・ラヴェル《マ・メール・ロワ(Ma mère l’Oye)》。
《眠れる森の美女》《親指小僧》《美女と野獣》――。子どものころに出会った物語が、繊細な音の世界として次々と現れる作品です。
現在では管弦楽作品としても広く知られていますが、もともとは大きなオーケストラのために書かれた音楽ではありません。
始まりは、ラヴェルが親しくしていた一家の二人の子どもでした。
ミミとジャン・ゴデブスキ。
ラヴェルは、この二人の「四つの小さな手」のために、ピアノ連弾の音楽を書きました。
ラヴェルとゴデブスキ家の子どもたち
ラヴェルは、シーパ・ゴデブスキと妻イダの一家と親しく交流していました。
その子どもたちが、ミミ(マリー)とジャンです。
ラヴェルは子どもの世界や玩具、機械仕掛けの小物を好んだことでも知られています。ゴデブスキ家の子どもたちとも親しく接し、その交流の中から《マ・メール・ロワ》が生まれました。
1908年9月、まず《眠れる森の美女のパヴァーヌ》が書かれます。
そして1910年4月までに、さらに4曲が加えられました。
初版楽譜には、はっきりと「Pour Mimie et Jean Godebski(ミミとジャン・ゴデブスキへ)」と記されています。
Paris: Durand & Fils, 1910, Plate D. & F. 7746.
“Pour Mimie et Jean Godebski”
「ミミとジャン・ゴデブスキへ」
五つの「子どものための小品」
ピアノ連弾版の《マ・メール・ロワ》は、次の5曲から構成されています。
- 《眠れる森の美女のパヴァーヌ》
- 《親指小僧》
- 《パゴダの女王レドロネット》
- 《美女と野獣の対話》
- 《妖精の園》
ラヴェルは、シャルル・ペローだけでなく、ドーノワ夫人やルプランス・ド・ボーモン夫人の物語からも題材を取り入れました。
興味深いのは、子どもの世界を描くために、音楽そのものも意識的に簡潔にしていることです。
華やかな技巧を前面に出すのではなく、少ない音の中から色彩や物語を立ち上げる。《マ・メール・ロワ》には、ラヴェルの精密な作曲技法が、非常に透明な形で現れています。
献呈された二人ではなく、別の少女たちが初演した
《マ・メール・ロワ》はミミとジャンのために書かれました。
しかし、1910年4月20日にパリのサル・ガヴォーで行われた公開初演でピアノを弾いたのは、二人ではありませんでした。
演奏したのは、11歳のジャンヌ・ルルーと14歳のジュヌヴィエーヴ・デュロニーです。
舞台は、新しく設立された独立音楽協会(Société musicale indépendante)の最初の演奏会でした。
つまり、《マ・メール・ロワ》には二組の子どもたちが関わっています。
作品を生み出すきっかけとなったミミとジャン。
そして、その音楽を初めて公の舞台に届けたジャンヌとジュヌヴィエーヴ。
子どものために書かれた音楽が、別の子どもたちの演奏によって聴衆へ渡っていったのです。
ラヴェルの先生はフォーレだった
この作品をめぐる人のつながりをもう少したどると、ガブリエル・フォーレにも行き着きます。
ラヴェルは1897年からパリ音楽院でフォーレの作曲クラスに学びました。フォーレは、独創的だった若いラヴェルの才能を理解し、その音楽を支えた教師の一人でした。
フォーレ自身にも、身近な子どもとの交流から生まれた作品があります。
《ドリー組曲》です。
フォーレは友人エンマ・バルダックの娘ドリーのためにピアノ連弾曲を書き、ラヴェルは友人ゴデブスキ夫妻の子どもたちのために《マ・メール・ロワ》を書きました。
師と弟子それぞれの作品が、身近な子どもとの交流から生まれていることは興味深い共通点です。
フォーレの生涯とラヴェルとの関係については、ガブリエル・フォーレの人物紹介でも紹介しています。
ピアノからオーケストラへ
《マ・メール・ロワ》の物語は、ピアノ連弾だけでは終わりませんでした。
1911年、ラヴェル自身が5曲を管弦楽化します。
ここで、作品の色彩は大きく広がりました。
《親指小僧》では森の中をさまよう足取りが、《パゴダの女王レドロネット》では異国的な響きが、《美女と野獣の対話》では二人の登場人物が、オーケストラのさまざまな音色によって描き分けられます。
大編成の迫力で押すのではなく、木管楽器やハープ、チェレスタ、打楽器などの色彩を繊細に組み合わせていることも、ラヴェルらしいところです。
さらにバレエへ――物語そのものが舞台に現れる
同じ1911年、作品はさらに大きな変化を迎えます。
パリのテアトル・デザールを率いていたジャック・ルーシェの働きかけによって、ラヴェルは《マ・メール・ロワ》をバレエへ発展させました。
既存の5曲を並べるだけではなく、《前奏曲》《糸車の踊りと情景》、各場面をつなぐ間奏などを追加し、一つの舞台作品として組み直します。
バレエ版は1912年1月、パリのテアトル・デザールで初演されました。
二人の子どものための小さなピアノ曲として始まった音楽が、わずか数年のうちに、ピアノ連弾、管弦楽組曲、そしてバレエへと世界を広げていったのです。
簡単だからこそ、音楽がよく見える
《マ・メール・ロワ》を演奏して感じるのは、音符の多さと音楽の深さは必ずしも同じではない、ということです。
旋律は簡潔で、響きも透明です。
だからこそ、一つの音をどのような音色で吹くのか、フレーズをどこへ向かわせるのか、相手の音をどのように聴くのかが、そのまま演奏に表れます。
特に二重奏で演奏すると、二人の音色が少し違うだけでも音楽の表情が変わります。
技巧的に難しい作品とは別の意味で、奏者の耳と表現力を試してくれる作品だと思います。
子どもたちから始まった《マ・メール・ロワ》の旅
1908年、ゴデブスキ家の子どもたちのために書かれた小さなパヴァーヌ。
1910年には5曲の組曲となり、二人の少女の手によって初めて公の舞台へ。
翌年にはオーケストラへ広がり、さらにバレエとして物語そのものが舞台に姿を現しました。
ミミとジャンがいなければ、この作品は同じ形では生まれなかったでしょう。
そして、ジャンヌ・ルルーとジュヌヴィエーヴ・デュロニー、ジャック・ルーシェらとの出会いがなければ、現在とは違う歴史を歩んでいたかもしれません。
《マ・メール・ロワ》もまた、人とのつながりによって姿を変えながら、世界へ広がっていった作品です。
《マ・メール・ロワ》をフルート二重奏で
Japan Duo Notesでは、ラヴェル《マ・メール・ロワ》を、2本のフルートだけで演奏できるフルート二重奏に編曲しています。
原曲の繊細な色彩や物語性を大切にしながら、ピアノを使わず、2人の奏者だけで全曲を楽しめるようにしています。
ラヴェルが子どもの世界を描くために簡潔な書法を選んだように、この作品では音の数以上に、音色、フレーズ、そして二人の響きの調和が大切になります。
フルート二重奏版について
編曲の内容や参考演奏については、こちらのページで詳しく紹介しています。
楽譜を購入する
国内向けSTORESと、海外向けPayhipの両方から購入できます。
発表会や演奏会のレパートリーとしてはもちろん、音色やフレーズ、二人のアンサンブルをじっくり見つめ直す作品としてもおすすめです。
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参考資料
- Philharmonie de Paris — Ma Mère l’Oye de Maurice Ravel.
- IRCAM — Ma mère l’Oye, work catalogue.
- The Morgan Library & Museum — Maurice Ravel, Ma mère l’Oye: cinq pièces enfantines, first edition.
- Maurice Ravel — autobiographical writings and correspondence concerning Ma mère l’Oye.