私たちは立派な評論家で批評家でした。
それは全く自分を差し置いて、言いたい放題なのですから気楽なものです。このような価値観は場所を変え品を変え、音大に進んでもその後も続きました。おかげで勧められるままに聴いたもの、比較の対象のために購入したもの、資料として手に入れた音源など様々な演奏にふれることができ、自分の嗜好というものがはっきりしたように思います。
以前のレコード評論などは、そのまま鵜呑みにしてしまうことが多くありましたが、嗜好がはっきりすると受け入れられるものとそうでないものがありました。
評論とは、個人の嗜好によるものです。
どんな権威であっても判断は嗜好によって左右されます。
私が素晴らしく感動的したコンサートでも、後日のレビューでは批判的に書かれることが何度もありました。また、コンクールの入賞者の採点が審査員の間で別れ、議論になるというのもよく聞く話です。
自分と同じ感覚の者には高得点を、離れれば離れるほど採点が厳しくなります。